• TOP 
  • > コラム 

コラム

更新日:2008.7.30

歴史と政治の対話のすすめ

『学問のすすめ』で有名な福沢諭吉は、幕末から明治にかけて日本の近代国家の建設に貢献した知識人です。しかし意外に知られていないのは、福沢が、西欧の近代的諸制度を模倣するのではなく、日本のすすむ道は自ら探すべきだと主張したことです。こうした福沢の主張の背景には、生い立ちが深くかかわっていたようです。九州の中津藩(現在の大分県)の下級武士の子として生まれ、たとえ個人に能力があっても身分が低ければ頭角をあらわすことができない身分制度に怒りをもっていたそうです(下記『歴史・思想からみた現代政治』コラム4を参照)。だからこそ、西欧のすすんだ近代文明にふれつつ、日本の行く末を悩んだ福沢は、日本の対外的独立や議会制度を確立する前に、まず独立自尊の個人をつくるべきだと主張したのです。
グローバル化のなかで、現代の日本はアジア諸国との経済的結び付きを強化する一方で、「愛国心」教育を図るために教育基本法の改正を行い、学習指導要領解説書に日本の抱える領土問題の例として竹島を明記するなど、ナショナリズムの流れがみられます。日本は、歴史的にとりわけアジア諸国との間でさまざまな交流があり、そのなかで日本固有の言語や文化や風土を育んできました。しかし明治以降は、福沢が近代化の遅れたアジア諸国に見切りをつけ「脱亜入欧」を打ち出したように、アジア諸国を軽視する政策をとるようになります。アジア・太平洋での戦争の後、ようやく日本国憲法が成立し、平和主義を確立しますが、アジア諸国との間で、日本独自の平和外交はかならずしも成功していません。
では今後、日本の政治はどのような方向にすすむべきなのでしょうか。
出原政雄編『歴史・思想からみた現代政治』は、現代政治の焦点となるテーマをとりあげ歴史・思想から読み解いています。たとえば第2章の「愛国心−知的伝統の再発見」は、福沢が西欧の書物にあるpatriotism(パトリオティズム)という用語を、なぜ「愛国心」でなく「報国心」と訳したのかについて、興味深い分析をしています。「報国心」とは、「一国に私するの心」であり、キリスト教の人類同胞主義と比べて、常に抑制しなければならないものと捉えられるのに対し、「愛国心」には神の末えいたる天皇の「神話的国家論」につながる含みがあり、排外主義を生むことになる。だから福沢は「愛国心」という訳語をあえて避けたのではないか、と。
福沢は一万円札に掲載された単なる歴史上の人物ではなく、彼が何にぶつかり、何を構想したのかを知ることは、現代日本の政治を理解することにも大いにつながってきます。もし今福沢が生きていたら、少なくとも国家に従順な市民を育てるような「愛国心」教育は支持しないでしょう。しかし逆に、「愛国心」を全面的に否定するかといえば、そうともいえないことが本書の叙述からわかります。
本書は、「愛国心」以外に「新自由主義」「歴史認識」「移民」「アジア」などの問題が、歴史的にどのような背景で発生し、展開してきたかを考察します。そこから読者は、歴史と政治の対話がうむ多様な視点に気づくことでしょう。

 【参考文献】

愛国心と教育をめぐる現代の政治状況について関心のある方は、小社から刊行しました『対論 憲法を/憲法からラディカルに考える』第II部をご参照ください。


歴史・思想からみた現代政治

<前のコラム | 次のコラム> | バックナンバー
 

本を探す

書籍キーワード検索

詳細検索

書籍ジャンル検索