『現代フランスの新しい右翼』はしがき
日本では右翼勢力といえば、強面の男性が軍服のようなレトロな服装を身にまとい、大音響でアルカイックな音楽を鳴らしながら街宣車を走らせ、日教組大会に押し掛けて騒擾を引き起こす光景を思い浮かべてしまう。「国体護持」「北方領土返還」といったスロ−ガンを百年一日のごとく繰り返し叫んでいる時代遅れの運動といったイメ−ジが強い。そのような周辺的政治勢力というイメ−ジは、日本だけのものではなかった。
ヨーロッパ諸国と同様、フランスでも、極右勢力は、第2次大戦後は周辺的な政治勢力にすぎなかった。戦前には、王党派のアクション・フランセ−ズやラロック大佐の率いるクロワ・ド・フといった極右団体が活発に活動を展開し、1934年2月6日の大規模な動員による騒擾事件を引き起こしている。また、元社会党のM・デアや元共産党のJ・ドリオが結成したファシズム団体が極右とともにヴィシー政権下で対独協力を担った。だが、第2次大戦後は、対独協力の烙印を押されて政治的には周辺へと追いやられていた。
1950年代には商人や手工業者の不満分子を糾合した反税的運動でる「プジャ−ド運動」やアルジェリア独立反対運動として極右勢力は束の間の復活を遂げるが、いづれの運動もまもなく退潮して政治の舞台から消えていった。1968年の「5月革命」から1981年のミッテラン政権の成立へと左翼勢力が影響力を強化していくのとは対照的に、フランスの極右勢力は長い「不遇時代(traversee du desert)」を送っていた。
ドイツでも同様に、第2次大戦後、極右勢力は不遇な時代を経験していた。1966年にドイツ国家民主党がバイエルン州で7.4%、ヘッセン州で7.9%を、1968年にはバ−デン・ヴェルテンブルク州で9.8%を得票した。1969年連邦議会選挙では4.3%と、議席獲得に必要な5%にあと一歩に迫った。しかし、その後、ドイツ国家民主党は勢いを失い、ドイツの極右勢力は分裂と低迷の時代に戻っていった。イタリアでは、イタリア社会運動が比較的健闘していたが、
そのような極右の「不遇時代」にピリオドを打つたのは1994年欧州議会選挙でのフランスの国民戦線(FN)の躍進であった。約11%という極右にとっては驚異的な得票で、極右政党が突如として政党システムへの参入を果たした。そして、FNの選挙での成功が特殊フランス的な現象でないことはまもなく明らかになった。1990年代に入ると、フランスだけでなく、オ−ストリアやオランダ、ベルギ−、イタリア、ノルウエ−、スイスと、多くのヨ−ロッパ諸国で極右勢力は選挙で得票を伸ばしていった。
各国での突然の極右勢力の伸張を前に国民は戸惑い、政治家や政治研究者、ジャ−ナリストにとっても、そのような政治現象は理解を超えるものであった。というのは、1980年代以降にヨ−ロッパの先進諸国での極右政党のかつてない規模での台頭は、イデオロギ−の終焉やポスト産業社会の到来、脱物質主義的価値の上昇という学問的主張と矛盾するものであり、油断していた多くの政治家や世論のリ−ダ−の虚をつく現象であったからである[Jackman and Volpert(1996):501]。
極右政党の台頭に対抗して組織されたデモや集会では、その政治現象はファシズムの再登場としてしばしば糾弾されている。研究者のなかでも、少数ながらそのような解釈が提示されちる。だが、世紀末から新世紀にかけて、ヨーロッパ先進社会に生起している新しい極右運動の波は、かつてのファシズムや伝統的な極右運動の再来と解釈していいのだろうか?そうでないとすれば、この新しい政治現象をどのように理解するべきであろうか?本書は、そのような問いかけから出発している。結論を言っておけば、本書は、ヨ−ロッパでの極右現象を現代代社会の変容と困難に由来する極めて現代的な政治現象として理解し、過去のファシズムや伝統的な極右政党の復活現象として解釈すべきでない考えている。本書で、「極右」はなく、「新しい右翼」という呼称を使用しているのも、そのような現象の新奇性を強調するためである。
さて、ヨ−ロッパでの極右現象を解読するのが本書の重要な目的であるが、それを、フランスの極右政党である国民戦線(FN)を題材として考えてみることが、本書の中心的な課題である。というのは、1990年代以降、フランス以外の国でも新しい右翼政党が台頭してくるが、国ごとの独自性を示しながらも、各国の新しい右翼政党の掲げている中心的な争点や支持者構成を含めて多くの共通性をもっている[Givena(2005):20]。その点で、FNのイデオロギ−や言説、組織や行動スタイルなどを考察することは、ヨ−ロッパの新しい右翼を理解する上で有益な視点や情報を提供するはずである。というのは、1984年欧州議会選挙で他国の新しい右翼政党に先駆けて躍進し、現在まで無視できない票を選挙で集めつづけてきた。そのような実績から、FNは他国の極右政党にとってもモデルとなる存在であったが、FNは長い活動歴のなかで、カリスマ的リ−ダ−のもとに強力な強固な組織を築き、ユニ−クなイデオロギ−や政策を発展させてきたからである。同時に、周辺的な極小政党から脱却して政党システムに参入し、既成政党にとっても無視できない存在にまでなっているFNの「成功物語」は、周辺的勢力を脱却できない諸国(ドイツ、スペイン、スウエ−デン、ポルトガル、イギリスなど)の新しい右翼政党との比較研究にとっても有益な材料を提供するはずである。
本書では、20世紀の末から新世紀にかけてのFNの動向を中心的に扱っている。われわれは、『フランス極右の新展開−ナショナル・ポピュリズムと新右翼』(1997年、国際書院)のなかでFNについての一章を設けて、党首ルペンの経歴やFNの結成から政党システムへの参入・定着までを、ナショナル・ポピュリズム運動の成功としてすでに紹介している。本書は、その続編として、前作で扱えなかった世紀末から世紀はじめの時期のFNを中心的な対象としている。その時期は、1993年プログラムに象徴されるようにFNがネオ・リベラリズム色を薄めて国家による経済社会への介入の肯定へと路線を転換し、アメリカ主導のグロ−バル化への対決姿勢を強めることを特徴としている。同時に、FNは、グロ−バル化を推進する支配的エリ−トに対抗して国民の利益とアイデンティティを防衛する反グロ−バリズムとポピュリズムの運動イメ−ジを鮮明にする時期でもある。また、移民問題を梃子に泡沫政党からの脱却を果たしたFNにとって、1990年代は組織とイデオロギ−を整備し、選挙での得票安定化を達成したという点でも重要な時期であった。
1999年初頭に分裂を経験して深刻な打撃を蒙ったFNは、2002年大統領選挙で、突然に政治の舞台で脚光を浴びることになった。大方の予想を裏切って、FN党首ルペンが、社会党候補L・ジョスパンを破って第2回投票へと進出したのだった。フランス国民にとっても、そのことは相当な「ショック」であった。だが、1990年代にFNが築き上げた知的・組織的財産と一部の有権者にとっての魅力を前提にすると、そのような現象は十分に理解可能である。つまり、現在のFNを理解するためにも、この時期のFNについての知ることは極めて有益である。
さて、本書は、フランスとヨ−ロッパでの新しい右翼現象を理解することを主要な目的しているが、それは次のような構成を通じて追究されることになる。
第1章では、新しい右翼としてのFNの結成から現在までを持続と変容の視点から分析を加える。1972年から1970年代の伝統的極右の性格が強い低迷期、1980年代中葉の躍進を可能にした右翼権威主義政党の時期、1990年代以降に本格化するナショナル・ポピュリズム路線の時期と、FNの路線転換に則しながら、その持続と変容を紹介する。
第2章は、1980年代中葉に、新自由主義的主張と権威主義的主張を結合するという「右翼権威主義」路線によって躍進を果たした後、支持者の社会職業的構成が変化していく。すなわち、躍進時の職人や商人といった旧中間層が優位な支持者構成から、労働者や事務職、失業者といった勤労者層が比重を増していく。そのような「プロレタリア化」と形容される現象は、1990年代以降に本格化するFNの路線転換の理解を容易にするはずである。
第3章では、支持者構造の「プロレタリア化」を背景にFNのなかで進行する興味ある変化を取り扱う、それは、従来までの極右政党のイメ−ジを転換するような活動であるが、FNは、社会運動や社会的権利に理解を示し、社会的弱者の支援活動や労働組合運動に乗り出す。このような「社会的右翼」の新しい路線は、FNのポピュリズム運動としての成功を理解することを容易にする。
第4章では、第3章で扱った変化が、「新右翼」と呼ばれる極右の思想的革新を追求してきた集団からFNに加入してきたメンバ−によって担われたこと、彼らによって、FNの思想的と組織面での整備が急速に進められたことを明らかにする。1990年代以降に本格化するFNのナショナル・ポピュリズムの新しい路線は、有権者へのアピ−ル力の向上をもたらすが、一部の有権者に発揮されるFNのイデオロギ−と言説の魅力は、「新右翼」の貢献を抜きには理解できない。
第5章では、「新右翼」の党内での積極的な活動が、FNの組織・イデオロギ−面でのバ−ジョンアップをもたらした一方で、彼らの影響力の強化が党内で激しい確執を生み出す過程を扱う。そのような確執は、ルペンと「新右翼」派のリ−ダ−でメグレの激しい対立として表現される。そして、その到達点として、1999年初頭にFNはついに分裂に至るが、本章では、分裂に至る過程を詳細に分析する。
第6章では、分裂によって終焉に向かうかと思われたFNが華々しい復活を遂げることになる2002年大統領選挙に焦点を当てて、2002年以降のFNについて分析している。
そこから、FNの突然の復活に思われた現象が、実は、1990年代に築かれた運動の基礎体力によって分裂を克服した結果であること、そして、2002年以降も現在までFNが基運動の基本的な力量を維持していることが分かる。
第7章では、グロ−バル化時代に、FNの有力なイデオロギ−的武器となる新しいナショナリズムについて考察する。グロ−バル化が進行する一方で、それに対するリアクションも活発化するが、FNは、アメリカ主導のグロ−バル化に対抗して国民国家の復活と国家による国民利益の擁護を唱えて、右からの反グロ−バリズムの旗手的な役割を演じている。
第8章では、脱産業社会化する時代的文脈のなかで新しい右翼が表現している本質的意味を解読する。そして、本書では、その運動の本質的意味を「ポストモダン・モダニズム」と規定して、新しい右翼の新しさとユニ−クさの源泉を仮説として提示している。すなわち、脱産業社会化とグロ−バル化のもとで、国民国家を枠組みとする経済社会が変容するというポストモダン状況のなかで、安定した近代の国民国家の枠組みと経済社会を維持することを追求する政治運動として、新しい右翼の時代的意味を提示する。
本書を通じて、日本ではなじみの薄いヨ−ロッパの新しい右翼の台頭という政治現象が、西欧デモクラシ−危機、より広くは、先進社会の脱産業社会化がもたらしている近代という時代の危機に由来するものであることが明らかにされるであろう。そして、単なる過去の遺物の復活や、過激で奇をてらった政治的フラストレ−ションの受け皿的な理解を超えて、新しい右翼の台頭という政治現象が投げかけている現代社会や政治への深刻な意味を理解していただければ、本書の目的は果たされたことになる。
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