『無権代理と相続』はしがき

 はしがき

 無権代理とは、本人の名において代理行為がなされながら、代理人と称するものが実は代理権を有していなかった場合をいう。本人は無権代理人の行為を欲していないのだから、本人に対して効果は生じないし、代理人は、本人のためになしたのであって自分のためになしたのではないから、本来なら、代理人にも効果は生じないはずである。意思表示とは欲するがゆえに欲するがままの法律効果をじ生じさせようとする制度だからである。しかし、これでは相手方が困るので、代理権もないのに代理行為をした無権代理人が自分の行為に責任を負うべきだとして、善意・無過失の相手方の選択により、履行又は損害賠償の責任を負わせることにした(一一七条)。また、無権代理行為でも、本人がそれを知り、かつ、その効果を欲するなら、本人、代理人、相手方の三者は欲するままの効果を享受することになるので、それを拒否する理由はない。これが「本人の追認」である。追認は別段の意思表示がないかぎり、契約時に遡及する(一一六条)。もちろん本人は追認を拒絶することもできる。本人が追認を拒絶すれば、無権代理行為の本人への効果不帰属が確定することになる。
 ところで、無権代理行為がなされた後、本人の追認も追認拒絶もないまま相続が開始し、無権代理人が本人の地位を承継したり(無権代理人相続型)、逆に本人が無権代理人の地位を承継したり(本人相続型)して、本人と無権代理人の地位の同化が生じることがある。本書の目的は、このような場合に生じる諸問題について網羅的に考察することにあるが、まず、その前提として、一一七条に定める無権代理人の責任の根拠やその内容について論じるのが、「第一章 無権代理人の責任の本質」である。筆者は一一七条における無権代理人の責任を「法定の保証責任」として根拠づける。効果意思に基づく保証責任ではなく、法定追認(一二五条)と同じく、代理人の一定の行為のありたることをもって、代理権の存在を代理人が保証したものと「看做す」(擬制する)ものである。これは、イギリス法におけるimplied warranty of authorityと共通する考え方である。
 次に無権代理行為の後、相続によって、本人の地位と無権代理人の地位の同化が生じる事案には、いくつかの類型が存在するが、それぞれの類型において、当該の無権代理行為の効果、本人の地位と無権代理人の地位との併存が認められるのか、地位の併存が認められるとして本人としての地位に基づいて追認拒絶権を行使できるのか、また無権代理人の相続人としての地位に基づき承継した一一七条の無権代理人の責任の内容、単独相続の場合と共同相続の場合とでは差異があるのか、限定承認がなされた場合はどうか、などが議論されてきた。
 判例は、無権代理人相続型の場合、単独相続であれば「本人が自ら法律行為をしたのと同様な法律上の地位を生じたものと解するのが相当」(大判昭和二年三月二二日民集六巻三号一〇六頁、最判昭和四〇年六月一八日民集一九巻四号九八六頁)であるから、当該の無権代理行為は相続とともに当然有効になるとする(本人と同一の法理)相続とともに無権代理行為は当然有効となるのであるから、地位の併存は認められず、無権代理人は本人を相続しているのに、本人のもつ追認拒絶権を行使することはできない。相続による一種の「追完」を認めているのである。また、無権代理人を本人とともに相続した者が、その後更に本人を二重相続した場合でも、本人以外の相続人は、共同相続であるとはいえ無権代理人の地位を包括的に承継していることに変わりはないから、やはりこの場合も、相続人は本人の地位で追認拒絶できる余地はなく、「本人が自ら法律行為をしたと同様の法律上の地位ないし効果を生ずるものと解するのが相当である」(最判昭和六三年三月一日判時一三一二号九二頁)として、無権代理人が単独で本人を相続した場合と同様の判断を下している。しかし、無権代理人が本人を他の相続人とともに共同相続した場合においては、無権代理人の相続分に相当する部分についても「本人と同一の法理」を採らず、「他の共同相続人全員の追認がない限り、無権代理行為は、無権代理人の相続分に相当する部分においても、当然に有効となるものではない。」(最判平成五年一月二一日民集四七巻一号二六五頁)として、地位の併存を肯定した。他方、本人相続型の場合は、本人が無権代理人を単独相続した場合でも、「無権代理行為は一般に本人の相続により当然有効となるものではない」(最判昭和三七年四月二〇日民集一六巻四号九五五頁)から、地位の併存が認められ、本人は被相続人の無権代理行為の追認を拒絶できる。本人が無権代理人を他の相続人とともに共同相続した場合も同様である。もっとも、一一七条の無権代理人の責任が相続の対象となることは明らかであるから、本人は相続により無権代理人の責任を承継し、「本人として無権代理行為の追認を拒絶できる地位にあったからといって右債務を免れることはできない」(最判昭和四八年七月三日民集二七巻七号七五一頁)と解している。学説もこの問題を、無権代理人相続型と本人相続型とに分けて考察し、無権代理人と本
人との地位の併存を認めるのが現在では一般的であるようだが、無権代理人相続型の場合に、自ら無権代理行為をした者が本人の地位で追認を拒絶することは「信義則」に反して許されないが、本人相続型では、無権代理人を相続した本人が追認を拒絶しても、自らは無権代理行為をしたわけではないので、何ら信義則に反することはないと解する見解が多いように思われる。
 筆者は、この「無権代理と相続」の問題に関して、「併存貫徹説」の立場に立つ。「併存貫徹説」とは、無権代理人が本人を相続した場合、本人が無権代理人を相続した場合、二重相続の場合(逐次的に無権代理人の地位の相続と本人の地位の相続とが行われた場合)とを通じて、単純・単独相続であるか単純・共同相続であるかを問わず、可能な限り、本人と無権代理人との地位の併存を貫徹しようとする見解である。すなわち、いずれの場合であっても、本人の地位と無権代理人の地位とは相続によって融合帰一せず、無権代理人相続型では、無権代理人は相続によって承継した本人の地位を主張して追認を拒絶できるが、相手方が善意・無過失のときは、一一七条によって無権代理人は履行又は損害賠償の無過失責任を負う。本人相続型では、本人は本人たる地位で追認を拒絶できるが、相続によって承継した無権代理人の責任を免れることはできないので、一一七条に従い善意・無過失の相手方の選択に応じて、履行又は損害賠償責任を負うことになる。筆者には、本書に先立つ論稿として、高森八四郎=高森哉子「無権代理と二重相続」関西大学法学論集三九巻一号一頁以下(一九八九年四月)、高森哉子「無権代理と相続―併存貫徹説の立場から―」『21世紀の民法(小野幸二教授還暦記念論集)』五四一頁以下(一九九六年一二月)があるが、無権代理と相続をめぐる近時の最高裁判例(最判平成五年一月二一日民集四七巻一号二六五頁、最判平成一〇年七月一七日民集五二巻五号一二九六頁)は、私見の併存貫徹説にかなり接近してきている。そこで、本書では、「第二章 無権代理と相続」において、前二論文に依拠しつつもこれに大幅に筆を加え、無権代理と相続に関する一一判例と諸学説を、併存貫徹説の立場から改めて検討・考察し、無権代理と相続に関する全事案類型において、併存貫徹説の立場で、妥当かつ衡平な解決を図れることを論証した。この「第二章 無権代理と相続」が、本書の中心となる章である。
 「無権代理と相続」の問題に類似する問題として、「他人物売買と相続」の問題がある。これには、他人の物を売却した売主が権利者(所有権者)の地位を相続する場合(売主相続型)と、権利者(所有権者)が売主の地位を相続する場合(権利者相続型)とに分かれる。この「他人物売買と相続」の問題は、「無権代理と相続」の問題と共通した論点
を含んでいる。最高裁も、最大判昭和四九年九月四日民集二八巻六号一一六九頁において、従来の判例(最判昭和三八年一二月二七日民集一七巻一二号一八五四頁)を変更し、「権利者は、相続によって売主の義務ないし地位を承継しても、相続前と同様その権利の移転につき諾否の自由を保有し、信義則に反すると認められるような特別の事情のない限り、右売買契約上の売主としての履行義務を拒否することができるものと解するのが相当である。」と判示した。これは、他人物売買の権利者相続型の事案を無権代理の本人相続型の事案と同様に処理しようとするものであり、学説も、この判例変更に概ね好意的であるように思える。
 最大判昭和四九年九月四日は、他人の物の代物弁済予約の事案であり、他人物売買の事案ではないが(しかし、最高裁はこれを他人物売買と同視している)、確かに、他人物売買において権利者が売主の地位を相続する場合と、無権代理において本人が無権代理人の地位を相続する場合とでは、外観上似ているところもないわけではない。しかし、無権代理は、本人の代理人と称して代理行為をした者に実は代理権がなかった場合であり、無権代理行為はもともと無効であって、本人への効果は本来的に不帰属である。それに対して、他人物売買は、他人のものを自分のものとして売買する場合であり、他人物売買はもともと有効である。売主が権利者から追認ないし同意を得られず、または、権利者から権利を譲り受けられなかったとしても、売買の効力には依然影響がなく、単に五六一条以下の規定に従い担保の義務を負うにすぎない。無権代理と他人物売買とでは、外観上の類似性以上に本質的な相違があるので、それぞれに相続が生じた場合の法的処理の仕方も自ずと異なることを論じるのが、「第三章 他人物売買と相続―無権代理と相続の問題と比較して―」である。無権代理と相続の問題では、「併存貫徹説」が妥当するが、他人物売買と相続の問題では、「非権利者の処分行為の追完の理論」(ドイツ民法一八五条)を無視することはできないと考える。
 更に、制限能力者の事実上の後見人による無権代理行為の後、その無権代理人が後見人に就任することによって、無権代理人の地位と後見人の地位とが同一人に帰属することがある。この問題も、「無権代理と相続」の問題と共通した論点を含んでいる。無権代理と相続における無権代理人相続型の場合、無権代理人は本人としての地位に基づき、自らの無権代理行為について、追認権あるいは追認拒絶権を行使することができる(一一三条)。他方、後見人は、被後見人の財産を管理し、その財産に関する法律行為について被後見人を代理する権限をもつから(八五九条)、無権代理行為の追認権、追認拒絶権も、後見人の代理権の範囲に含まれる。したがって、無権代理人が後見人に就任すると、自らの無権代理行為について、追認権あるいは追認拒絶権を行使することになるからである。しかし、両者の問題は根本的に異なる。なぜなら、無権代理人相続型において、追認によって生じる本人の責任を負担するのは、無権代理人自身であるが、後者の場合に、後見人の追認によって生じる本人の責任が帰属するのは、被後見人であり、無権代理人は後見人として追認することによって、相手方に対する関係で、自らの無権代理人の責任を免れる結果となるからである。また、後見人は、専ら被後見人の利益のために、善良なる管理者の注意をもって、後見事務を処理する義務を負っているのであるから(八六九条、六四四条)、追認権、追認拒絶権も、被後見人の利益に合致するように行使しなげればならない点も、無権代理人相続型の場合とは大きく異なる。
 最高裁も、この問題と無権代理人相続型の問題とを同様に扱うことはできないという点について、一応の理解は示しているようだが、無権代理人の資格と後見人の資格とが同一人に帰属し、後見人が信義則上追認拒絶できない結果、就職とともに無権代理行為の効力が確定するとした点(最判昭和四七年二月一八日民集二六巻一号四六頁)は、無権代理人(単独)相続型の判例の影響を受けたといえる。また最判平成六年九月一三日民集四八巻六号一二六三頁は、禁治産者の後見人は、その就職前に禁治産者の無権代理人によって締結された契約の追認を拒絶することができるが、例外的場合には追認拒絶が信義則に反して許されないことがあるとし、後見人が追認拒絶をすることが信義則に反するか否かを判断するについて考慮すべき要素を例示している。しかし、そこで示された判断要素には問題が多い。一般条項である信義則を安易に適用することによって制限能力者の保護を重視するという民法の基本的価値判断を軽視する結果を招いてはならないが、後見人あるいは成人後の本人の追認拒絶を認めることが、正義の観念に反するような具体的事情があるのならば、例外的に、追認拒絶が信義則上許されない場合があることも否定できない。そこで、二つの最高裁判例及び関連する判例の事案の分析を通して、制限能力者の保護を重視するという民法の基本的価値判断を尊重してもなお、追認拒絶が信義則に反して許されないと判断される基準要素について考察するのが、「第四章 就任前の無権代理行為に対する就任後の後見人による追認拒絶の許否」である。なお、第四章の初出は、「就職前の無権代理行為に対する後見人の追認拒絶」『新世紀へ向かう家族法(中川淳先生古稀祝賀論集)』三〇九頁以下(一九九八年一一月)であり、そこで取り上げた判例は、すべて成年後見制度導入以前のものであるため、禁治産者や無能力者といった用語もそのまま使用した。
 以上、本書の内容を一言でまとめるならば、無権代理と相続の理論的前提となる問題を先ず論じ、無権代理と相続に関する全事案類型を、「併存貫徹説」の立場で考察するとともに、無権代理と相続に類似する問題について考察することによって、その問題状況の違いを明確に指摘しようとするものである。
 なお、補論として、「一 無権代理人が本人を共同相続した場合の無権代理行為の効力」(最判平成五年一月二一日民集四七巻一号二六五頁の判例研究、法律時報七一巻一号七六頁初出)、「二 本人による追認拒絶後の無権代理行為の効力」(最判平成一〇年七月一七日民集五二巻五号一二九六頁の判例研究、法律時報七二巻一三号二七五頁初出)、及び「三 松久三四彦著「他人物売買および無権代理等と相続・取得―管理権優先の視角―」『著作権法と民法の現代的課題(半田正夫先生古稀記念論集)』書評」を収めた。
 読者の御批判・御叱正をいただければ、幸いである。

  なお、本書は、平成一七年度追手門学院大学研究成果刊行助成金の助成を得て出版できたことを感謝したい。また、本書を執筆・出版するにあたっては、平成一六年四月に追手門学院大学に赴任して以来、経営学部長地代憲弘先生に大いに励ましていただいた。心から御礼申し上げたい。法律文化社編集部の淺野弥三仁氏にも、厚く御礼申し上げる。


  平成一八年一月一五日
 高森哉子

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